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酵母と生きる。人の心と酵母たちが創る「嬉しい・楽しい・幸せ」の空間、パン屋『たなごころ』

ライター:淺倉拓馬(TreenessLife089)

檜原村役場から南に25分ほど車を走らせると、人里(へんぼり)集落に温かい光を灯すベーカリー『たなごころ』が見えてきた。16年前からこのお店の自家製酵母たちと“家族”になった井上百合子さんは日々誰かのためにパンをつくり、お店の運営を楽しんでいる。

お店は人の出入りが多く、村民の方々から村外の常連客、初めて訪れるお客さんで終日賑わっている。1時間半もかけて食パンを買いに来るお客さんもいるほど人気のあるパン屋だ。お店のテラスからは、人里の広い空にむかってのびのびと背丈を伸ばし景色を彩る木々を、楽しむことができる。たなごころパンと同じ酵母を使って作るピザも大人気メニューだ。

百合子さんの旦那さん、井上佳洋(よしひろ)さんは、林業とガス屋の傍ら『たなごころ』や宿泊施設を経営し、“たなごころVillage”を年々拡大している。佳洋さんは多くのメディアにも取り上げられていて、村民だけでなく訪れるお客さんからも人気者だ。

『たなごころ』はたなごころVillageを象徴する、温もりで包み込むような空気感を漂わせる。それは『たなごころ』に住む酵母たちと人の心が調和して創り出すものだろう。百合子さんの掌(たなごころ)でこねられたパンは細胞を通して人々の心をほぐし、自然と生き生きとした表情を生んでいる。

酵母ちゃんとの会話は欠かさない

今日お店に並ぶパンは前日の夜8時半からこね始める。その晩、こねた生地を寝かせて一次発酵させる。明朝5時半からパンの成形をし二次発酵。9時から焼き始め、それから店頭に並び華を咲かす。文字通りパン時間に合わせた日々の生活リズム、「生き物だから!」と百合子さんは微笑みを浮かべる。

「本当に生き物なの。私は酵母と話しが出来てさ、帰るときに『おやすみなさい!』って言って帰るの」とお店を構えるずっと前から酵母たちに話しかけてきた。パンを焼き始めた頃は発酵の時間が不安定で分からなかった。朝に弱い百合子さんは、その晩にこねたパンの酵母たちに話しかけ、「明日の朝ちゃんと起こしてね」と言って家に帰っていた。

ある日の朝、ぱっと目が覚めた時があったがその日に限って二度寝をしてしまった。いつも通りお店に来たわけだがパンが過発酵し、割れていた。後から思えば、最初にぱっと目が覚めた時間が、丁度パンが割れた時だったのかもしれない。酵母たちが起こしてくれたのかもしれないと思い、その一件が酵母たちと百合子さんの信頼関係をより高めるきっかけとなった。以後、百合子さんはお店のスタッフに、酵母たちにも「おはようございます!」と挨拶するよう呼びかけている。

「無機質なものであっても万物同根で同じ魂をもっていると思う。だからどんな生き物だって植物だってみんな魂を持っていると思う。」と、物や言葉を大切にする百合子さんの姿勢が伺える。結局、酵母たちと会話が出来るようになってからはパンの発酵が安定するようになったそうだ。

良品質のたなごころパンを作る工程には酵母たちとの会話が欠かせない。「たなごころからは良い気も悪い気も出るんだけど、その時の感情が、作るものに直接伝わるのよ。」みんなの笑顔を思い浮かべながら生地をこねていると百合子さんは話す。「美味しくなぁれ」と話しかけることも大事で、人間の常在菌と同調して良いエネルギーを生み出すのだ。

『たなごころ』に住む酵母たちは百合子さんの温もりと調和し、来る人々の心を癒している。

みんなが楽しめるパンが私のこだわり

「この場所は本当に良い気が流れていて、このお店に来るお客さんたちにリフレッシュしてほしい、心地良い場所を提供したい。だからその空気感を大事にしている。」と良い環境に感謝をする百合子さん。以前、北海道の小麦が不作の時があり、国産の原料にこだわる百合子さんは小麦粉の買い付けが困難になった。しかし、常連客に相談したところ、その方の人脈により小麦粉の買い付けが可能となり、現在に至っても安定して仕入れが出来ているという。その他にも、お客さんの出入りが少なくなってきた時にタイミング良くテレビの取材が入ったりした。

「この土地に助けられている。ちゃんとやりなさいということ。」と数々の不思議な出会いと体験が百合子さんの意識を高めた。やるからにはお客さんが喜ぶこと、ここに来ると美味しいものが食べられるとか、とにかく喜ぶ笑顔が見たい。

ある時、卵アレルギーをもっているお客さんがいた。百合子さんの心には、その人が一緒にいる時間を同じように共有できない様に映った。それがきっかけで材料に卵は使わないようにしてきた。近年、人気上昇中の「白パン」は北海道産の小麦粉と自家製酵母、お塩しか使わない。また全てのパンにお砂糖や卵、乳製品は一切使用していない。

「シンプルなパンだからこそこだわりたい。」

このパンのレシピは酒饅頭を作る工程が種となっている。そしてこだわる国産の原材料の小麦粉はご縁に恵まれ北海道産のものを使用している。

こうして百合子さんは利用する全てのお客さんに喜んでもらえる空間を提供し続けたいと掌を合わせるのだ。

まごころが生んだ『たなごころ』

もともと酒饅頭作りから始まった自己流のパン作り。お米と麹で作る酵母は、お店の名の由来に深く関わっていた。百合子さんは「お米を研ぐ時に掌で『ぎゅっぎゅ』ってやるんだよ」と佳洋さんに言ったそうだ。すると朝、目が覚めて、自分の掌を見ていると、佳洋さんが「『たなごころ』がいいんじゃない」と言った。百合子さんは手づくりの良さと温もりを伝えたいという事で即決した。

パン作りを始めた頃は本を読んだり、都内のパン作り教室に通ったりして学んだ。ご自身にとってのパン作りバイブルがあり、それをベースに百合子さん独自のパンが生み出されていく。お店がある場所はもともと木材の保管場所で、百合子さんも商売っ気がなくパン屋なんてする気もなかったそうだ。ただ酒饅頭のタネでパンを作り始めてからは友人、知人にパンを配って回った。そのうち材料費を払うからパンを作ってくれないかとお願いされたりもした。「始めよう!というタイミングからお店をオープンするまでの間、事業を妨げる様なことは一切なかった。」百合子さんの身の回りには、必要なタイミングで必要な人が次々と現れ、話がどんどん進んでいった。

「商売っ気のない私だけど、あの時は自分のお尻を叩いて必死になって行動した。」

佳洋さんに背中を押されて店を始めることとなった百合子さん。「今となっては主人のためにやっている気がする」と、宿泊施設を始めたりと次第に手一杯となった佳洋さんの代わりに一人でお店を回すようになった。「今はそれが私の使命だと思っている」と言う。

「何か物事にぶつかったりする時、そこをクリアしていかないと、また同じ事が起きる。」

「目の前に起きる事は自分にとって必要なことで、不都合なことに限って今の自分に必要なことだったりする。」

百合子さんは、今まで乗り越えてきた苦難も自分のやるべき事として乗り越えてきた。

元々、佳洋さんの健康を想って作り始めた自家製酵母パン。今ではそのパンを食べたお客さんも笑顔になってくれる。これがとっても嬉しい。

できる時に、できる人が、できることをすれば良い。

日々、自然や人の心と向き合い、酵母と話をしながら創ってきた自己流のパン作りバイブルは、いつしか百合子さんのたなごころを伝って人の心をほぐすためのバイブルとなった。

『たなごころ』にお出かけの際はこう言ってみたい、

「酵母ちゃんたちごきげんよう!」

たなごころ

取材・文/淺倉拓馬(TreenessLife089)

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