山城の形状をよく残しているとして平成3年3月8日東京都指定史跡となった城跡である。
応永20年(1413)、当時の鎌倉管領の足利持氏が源平の合戦で花形であった平山武者所の後裔である平山三河入道正泰を選び命じて築城させたと伝えられている。平山氏は日奉(ひまつり)氏及び西党に属していて、当時は現在の日野市平山に居館を構え、日の出町の平井や大久野も支配していたようである。
やがて鎌倉幕府は滅び足利時代となり、小田原城は北条早雲に奪われるとともに北条氏が関東を掌握した。戦乱の世となり、北条氏は武田勢が通行困難な笹子峠を避けて山伝いに檜原の浅間尾根を通って侵攻してくると考え、檜原谷を塞ぎ守るため檜原城の備えを固めた。
又、北条氏は小田原城を本城として支城を置き、さらに各所に出城を設けていたが、檜原城もその一つとして位置づけられ「境目の城」として重要視されていたようである。檜原城の落城については、新編武蔵風土記稿によると、「天正の頃は平山伊賀守氏重の子新左衛門が居住していた。北条家没落の際この城も敵のため陥り、父子はこの村の千足という所で天正18年、(1590年)7月12日自刃した。」とある。また、千足には氏重にまつわる「千足の草鞋」「源五郎岩」「綾滝」などの伝説が残されているとともに、御霊檜原神社には氏重が祀られている。
名称
檜原城跡
所在地
東京都西多摩郡檜原村本宿5575-1
駐車場
吉祥寺参拝者駐車場
行き方
吉祥寺の裏側にある城山を登る(道中には13体の仏像が安置されている)