「寛文水帳」に権現免として除地が記され、「風土記」には御霊社とある。檜原城主、平山氏重、氏久親子を祀ってあり、旧号は御霊権現と称したが、明治14年3月5日現在の称号に改称。
ご神体は烏帽子、直衣を付けた木の座像、長さ1尺1寸5分(約35cm弱)のもの1体と、綿帽子をいただいた女体像2体、身丈6寸5分(約20cm弱)と記されている。
祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)、埴安姫命(はにやすひめのみこと)、宿辺少将橘高安(やどりべのしょうしょうたちばなのたかやす)など、諸説があるが、いずれなのかわからない。
また、他の資料には、平山右衛門太夫氏虎の霊、軻遇突智命(かぐつちのみこと)とあり、天正16年(1588)8月27日勧請とある。そして平山氏重の第1子平山氏虎が天正16年5月12日檜原城落城の際、千足で討死したのでその霊を祀ったと記されている。しかし檜原城の落城は天正18年(1590)7月12日と言われているが、真否ははっきりしない。
その後、明治40年6月4日、茅倉の愛宕神社を合祀したが、ご神体の確認は許されない。又、千足の地名についても、平山氏の伝説として次のようなものがある。
天正18年(1590)檜原城が豊臣秀吉軍に攻められたとき、兵士の「草鞋」が不足したので氏重は天に向かって「南無八幡大菩薩、我に草鞋を与えたまえ。」と祈願した。すると天から1,000足の草鞋が降ってきたという伝説もあり御霊檜原神社のある地区が「千足」と呼ばれている。この伝説を主なものとして、千足地域には平山氏重にまつわるものがいくつか伝えられる。
名称
御霊檜原神社
所在地
東京都西多摩郡檜原村三都郷2773-1
行き方
「千足」バス停から2分。都道から千足沢の林道へ入ると、正面に鳥居が見える。