岩舟地蔵尊は、檜原落城のおよそ30年前の永禄4年(1561)に平山氏重の妹(鶴壽姫)が、藤橋城(青梅市)の城主平山光義(上杉方)に嫁いだときに、近くの寺院へ寄進したもの。2年後の永禄6年に北条方の攻撃を受けて藤橋城は落城。鶴壽姫は落城の前に檜原へ帰され、寺ではこの地蔵尊を檜原へ送り返した。光義は北条方に拉致されたが、やがて許されて下総方面で帰農し、鶴壽姫も永禄7年に光義のあとを追って下総へ行き、子供(光高)を産んで幸せに暮らしたと伝えられている。
※橘橋拡幅工事のため撤去保存されていたが、工事が終了したため地蔵堂が新築され岩舟地蔵尊を覗き見ることができる。
名称
岩舟地蔵尊
所在地
橘橋東詰
行き方
「本宿役場前」バス停からすぐ(上元郷駐在所横)